移住から開墾

 移住を決意

2015年、63歳で会社を退職すると同時に、畑を探して東北を旅する。会社を退職したら、ぜひ田舎に移住して、畑を借り、作物を栽培したいという夢があった。

ところが、山形県をあちこち探してみたが、畑と住居がなかなか見つからない。約1ヶ月かけて、県内を回った後、いったん東京に戻ることにした。

そんな頃、小笠原諸島を友人たちと一緒に旅をし、帰りに三宅島の知人のところに寄った。

そこで、三宅島にこないかと声をかけてもらい、そく決断。1ヶ月後には移り住むことにした。

 島への引っ越し

移住を決めたものの、離島への引っ越しは、陸続きの引っ越しとはちがう。引っ越し屋さんにトラックに積み込んで運んでもらうわけにはいかず、まず島の生活に必要な車を、貨物として送ることにした。そこにある程度の荷物を積み込めることがわかった。

机、ふとん、食器、調理器具など、入るだけ荷台に詰め込んだ。それを貨物を送る港まで運んだ。車は三宅島に着いたら、自分で取りに行かなくてはならない。車を送ってすぐに、船で島に渡った。

残りの荷物は、宅急便で送った。10個以上だと、送料が安くなるので、どんどん荷造りをしていった。そのうちヤマト便というのが、サイズに関係なく送れるので、それを利用することもあった。荷造りは、あとに残った奥さんがやってくれた。元の家も、東京に残していくので、冷蔵庫やテレビなど大きな電気製品は島で、店やネットで購入した。

竹芝桟橋から船で出発する日は、車に乗せられなかった荷物、自転車、それまで飼っていたカメなどを、がんばって運んだ。船は荷物の代金はかからないので、運ぶのは大変だが、経済的な方法だった。

三宅島に渡ったら、まず畑より家を整えた。ソファや、テレビ台、ラック、小型冷蔵庫、椅子などは、元々借りた家に残されていた。それらを使うことにして、あとからきた奥さんと一緒に、家具を配置したり、ペンキ塗りの作業などをした。

 開墾

家がそこそこ整ったつぎは、畑だ。といっても、すぐに使える畑が借りられるわけではなかった。まず自分で開墾をしなくてはならない。移住した年は自力で、翌年から約7年間は、毎年のように人を頼んで、重機を使って開墾していった。

 2015年、自力で畑1を開墾

いってすぐに借りた畑は、竹や木、背の高い草でおおわれていた。

竹は一本一本手で切り、木の根は、何日もかけて、掘り起こして取り除いた。

何ヶ月かして、やっと畑らしくなったときは、嬉しかった。これから何の野菜を育てようかと考えるだけで、わくわくした。

畑を開墾する一方で、となりに建っているハウスの半分を借りて、万願寺唐辛子を育てた。

それが毎日山ほどとれるようになったので、お店に置いてもらえるよう頼みにいった。自分で栽培した野菜を、島の人が買って食べてくれる、初めての体験だった。農業の世界に一歩踏み出した気がした。

 2016年、重機を使って畑2を開墾

2016年秋、最初に自力で開墾した畑だけでは、農家としてはせますぎた。

そこで、1反歩の畑を借りて、開墾し、アシタバ他、いろいろな野菜を植えたいと考えた。

開墾には、佐藤さんが手伝ってくれた。重機も運転できるし、開墾のノウハウもよく知っている方だった。なにからなにまで教わって、工事を進めた。

畑は村道を80mも奥に入ったところにあった。まず道をつけないと、重機が通れない。

ようやく道ができて、木を切り出すときには、御神酒(水)、お米、塩でお清めをした。

竹を切り出し、木を切っては、焼いていった。

あとはユンボで木の根をとるだけになった。

その年の産業祭には、サツマイモや赤芽イモ、万願寺唐辛子を出品。

翌年、畑になったところに、ニワトリ小屋を建てて、ニワトリを飼いはじめた。以来、その畑はニワトリ小屋の畑と呼んでいる。

 2018年、A面からC面を開墾

畑2を開墾して、隣の畑のわきを通っているときに、村道から80mも奥に入っていくのは大変だろう。村道に面したところにある5反歩の畑を貸してあげようか、とその畑の持ち主が声をかけてくれた。

村道沿いの畑なら、車を畑の横においたり、畑の中に乗り入れることができる。その土地を借りて、開墾することにした。

5反歩の畑は広いので、さしあたって、3反歩のだけ開墾することにした。畑は、坂道の下からA面、B面、C面と呼んだ。それぞれの面と面との間は防風林で仕切られている。

広いので、たくさんの人に手伝ってもらった。ふだんは、めったに車が止まることのない道に、ずらっと車が並んだ。

そうして、ようやく畑となったA面にうねを作り、アシタバの種をまいた。翌年には、右下のように、アシタバが成長した。

 2020年、D面を開墾

2015年に自力で開墾した畑1を、返さなくてはならなくなった。そのため、同じくらいの大きさの畑が必要になった。

そこで、C面の上の畑を、開墾することになった。その畑は、A面からE面まで借りていた場所の一部だった。でも、全面木でおおわれたジャングルのようなところなので、重機を頼んで、切り倒してもらうことにした。

開墾したD面は、今ではこんな風な畑になっている。

 2021年、ビニールハウスを建てる

とうとう園芸ハウスー三輪でもハウスを建てることになった。親方と若者が2人、手伝いにきてくれた。

建てる前には、奥さんと一緒に鉄柱に、さびどめのペンキ塗り。それが終わるといよいよ建設にかかった。

だんだんと出来上がっていくのを見ると、わくわくした。

ビニールもかけ始めると、あと少しで完成。

イチゴを植えようか。なにを植えようか、と考えるだけで、顔がほころんだ。

 2022年、E面を開墾

借りたまま、ずっとジャングルのままだったE面を、開墾することになった。ここにレモンの木を育てて、植えようという計画だ。防風ネットも張ってもらった。

まだレモンの木は育っていないので、2023年現在は、里芋やピーナッツ、ささげ、インゲンなどを植えている。そのうち、この畑のまわりには、大きなレモンの木が大きく育つだろう。